ポルカを踊れ

躁と鬱の狭間で。

心の中が見えてしまうとき

ふいにがっかりすることがある。相手が私に対して思っていることが、思わぬ言動で表れてしまったときだ。いつも優しくしてくれていた人なら尚更だ。

 

とある所属団体の中で、私は体調が悪いのであまり会合や活動に参加することができないため、なんというか信用されていない気がしていた。

 

ある時とあるデータを希望者にくれるということなので、もらいに行ったら配布する男性が年配者にデータを配布して使えるようにするのに手こずっていた。ただ、既に配布されていた人がいたので私はその人にもらった。その場にいたら、配布して欲しい人が次々やって来るので私は何人かに配布してあげた。

 

最後に来た女性は私と同じグループに属しており、少し年上でいつも優しくしてくれる人だと思っていた。その人にも同じように配布しようとして決定ボタンを押す直前に、元々配布していた男性が例の年配者への配布を終えたので皆に配布できると言ってきた。するとその女性は、私からの配布を断り男性からの配布を求めた。

 

気持ちはわかる。私だって私からの配布よりその男性から配布を求めたい。気持ちがわかってしまうからこそ落ち込んだ。尚且つ生理が始まってしまうと落ち込みの波がやって来るので、それはもう3日前のことなのだが私は引きずっている。それはたった数分のことだったが、彼女の本性が見えてしまった、と感じた。

 

引きずっている理由はもう一つある。私はその同じ日にその女性に教えてもらったアプリがあり、それを使うことができたので感謝のメールを昨日送ったが返事がない。返事がないことを例の出来事と結びつけてしまう。やっぱり私などと関わりたくないのだ彼女は、と思ってしまう。

 

実際は彼女はとても忙しく返事をする暇がないか、あるいは忘れているだけかもしれないし、その両方かもしれない。もしくは連絡先が間違っているのかもしれない。定かではない。

 

私はこういう時、相手に対してわざと暗い顔をしたり責めたくなったりしたくなってしまうのだが、それは絶対にしてはいけない、と自分に言い聞かせる。そんなことをしたら、ただただ本当に嫌われるだけだ。ただでさえ信用がないのだ。今は信用を得るべき時なのだ。そこまでもたどり着いていない気もするけれど。いじけてはいけない。忘れるのだ。今は過渡期、と唱える。

 

こういう感じ、少し動けるようになって来た人あるあるなのではと思う。たまに動いてみたら、予想外の反応にあってがっかりしてもう動きたくない、となりがち。ここで挫けてはいけない。こういうことはきっとこれからもたくさんある。でもそれを地味に乗り越えればいいことあるんだ。必ず。だからがんばる。落ち込みすぎない。

 

とりあえず今日は生理痛がつらいから、こんな風に考えられた自分を褒めつつのんびりすることにする。

 

そういえば、昨日テレビで便秘には1日にきなこ大さじ4杯食べるといいと言っていたから、レンチンしたバナナに混ぜて食べ、あと朝からキャベツのぬか漬けを多めに食べてみたら午後におつうじがなんだかすごかったのは気のせいか。どちらがどうだったのかはわからないのだけれど。あと朝アボカドも食べたし、あーあと朝乳酸菌入り納豆も食べた。うーん。どれだ。どれもこれもか。

 

私はこの手の食べ物が便秘に効くという情報、これまでいろいろ試してきたけどとくに効いたことがなかったから、うれしい。とうとう私に何か効くものが現れたみたいだ。何かはまだわからないけれど。でももしや昨日から飲んでいる生理痛の煎じ薬か。それだと生理の時しか飲まないから残念。

 

じわじわ特定していこう。私に効く何かを。キャベツのぬか漬けは美味しくて好きだからそれだといい。